Pityman公演「ばしょ」に寄せて―そこは誰の、ばしょだった?

「あなたの居場所は、どこですか?」
この問いにすんなりと答えられる人は、そう多くないのではないだろうか。しかし、私たちは社会で生きている以上、どこかには必ず居座っている。
それは家族であったり、SNSであったり、学校や会社であったり、地域であったり、国であったりする。たくさんの居場所が入れ子のように重なった社会に、私たちは無自覚に、居座っている。
本投稿は、pitymanによる舞台作品「ばしょ」を観て感じたことを書いたものである。ネタバレは含まないが、舞台作品になんらかの事前知識を入れて観るのが嫌いな人はここでバックしてほしい。でも、最初に言っておく。「観に行ってほしい」。先にTwitterのリンクだけ貼っておこう。
Pityman「ばしょ」あらすじ

舞台はオーストラリア、パース。ワーキングホリデーを利用してこの地に来た浩介は、滞在数年を経ても英語がおぼつかない。永住権を持つ将太の飲食店でバイトをしていて、鶏肉をさばく速さだけが取り柄だ。
浩介と同じくバイトをしていた奈々は、日本に帰国することに。閉店後の店内で、3人は送別会を始める。お酒を飲み交わしながらなにげない会話をしていたが、ある女性の話題をきっかけに物語は動き出す。
その女性は、こはると言う。今は、もうここにいない。
“ばしょ”を巡る無自覚さ
本作品は脚本/演出を務める山下由さん自身のオーストラリアでの体験を元に作られたものだ。異国にできた日本人コミュニティの結束力の強さを、山下さんは興味深く観察した。
新しい出会いを求めて来た日本人同士が、結局海外でも日本人の輪を守っていること。彼らはお互いの相性の良し悪しはさておき、日本人だからという理由で極めて親しくなりやすいこと。きっと彼らは日本で出会っていたら、互いに絆を深めることなどなかったこと。
オーストラリアの歴史も、本作品の描くテーマと重なる。オーストラリアにはかつてアボリジニと呼ばれる原住民が住んでいたが、白人が移住してきたことで、彼らの居住地は奪われた。
限定的な場所に、絶えずやってくる“外”の人々。けれど、“ばしょ”は拡張しない。だから不安になり、人々は“ばしょ”を奪い合う。結果として、誰かが“ばしょ”を失う。それは極めて残酷なことであるが、当事者たちはその行為に無自覚なものだ。
私たちの“ばしょ”に対する無自覚さを、この物語は問うている。
“ばしょ”が作る人間の関係性

本作品の登場人物は、「一時的に滞在している人」と「住んでいる人」に二分できる。
前者は日本という“ばしょ”を出ることで自由な生活を手に入れたように見えるが、反面オーストラリアでの“ばしょ”探しに苦労している。その不安や困惑は、言語の壁や文化の違い、ビザのタイムリミットなど様々な要因が絡み合って肥大する。
一方、後者はオーストラリアの一部だ。仕事や家庭、責任がある。一時的な滞在者を快く受け入れると同時に、心理的に強い立場に立つことができる。
一見平等なようでいて生じる従属関係。それを無自覚に利用した横暴な態度や、ある種の理不尽なオーダーは、果たして何を生み出すのだろう?
砂漠のようにドライで孤独な風景

私は山下さんの作品が心底好きで、出会ってからの舞台はできる限り観に行っている。過去作品と比較した今回の作品は、とても乾いていて彩度が低いように感じた。
会話劇と照明のわずかな変化から、オーストラリアの気候や砂漠を、小さな舞台に描き出す。鮮やかな海や晴れ渡った空などの明るい風景とは対照的に、人物たちは皆淡々としていて、どこかモノクロに近い孤独を帯びている。
その空気感やコントラストを描ける山下さんを、私は心から尊敬している。大きなインパクトのある舞台装置に頼らず、言葉の力でどこまでも奥行きを出してくる山下さんの観察眼や手腕に、惚れている。
ぜひ観に行ってほしい
最後はただの絶賛になってしまったが、何が伝えたいかって?
繰り返すが、観に行ってほしいのである。もうチケットはなくなりかけているみたい……気になる方は下記のリンクからチケット購入ができます。
あと、山下さんのnoteにはご自身のオーストラリア滞在記が綴られていて、ここでも作品の世界観が楽しめるのでおすすめ。
そして、Pitymanの作品に興味を抱いた人は、ぜひ次回作品に期待してほしい。テーマによって変わる世界観と、変わらないテーマがあるので、リピートしてもらいたいのだ。
ここまで読んで下った方に「行け」だの「読め」だのオーダーしまくっているが、約束する。期待は裏切らない。特に、自分で言うのは恥ずかしいが、私の小説を好きな人には薦めたい。
なぜなら、私が小説を本気で書き始めたきっかけのひとつが、山下さんの作品との出会いだからだ。彼が観察眼の細やかさや、セリフ(言葉)へのこだわりが、私の何かにエネルギーをくれた。
こんなふうに、会話を描けたら。こんなにたくさんの五感を刺激する作品を、私も生み出せたら。たいそうな欲望だが、そう思わせてくれたのだ。
俯瞰したときに見える大きな答えを、一人ひとりの小さな物語に描きたい。
こんな言葉を、山下さんは先日飲み交わしたときにおっしゃっていた(だいぶ酔っていたので記憶が曖昧……微妙に違うかもしれない、ごめん山下さん)。
私は、「それ!それな!!」と激しくうなずきながら共感していた。そういう気持ちから生まれた作品なんだよ、と伝えたい。
あとは、観て、感じてください。以上、私からPityman(そして山下さん)への最新版ラブレターでした。
[写真提供:大口葉]
※本記事はnoteに2019/09/22 17:25に投稿されたものを移行しました。
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