『凪のお暇』で描かれる表情豊かな“空気”とは

作品レビュー

ドラマ『凪のお暇』。いやあ、がっつりハマりました。このドラマの何が好きかって、テーマが好きなんですよ。

「空気読めよ」
「この人空気読まない」

至るセリフに登場する“空気”。この物語では、 “空気”って何なのかがあらゆる方向から描かれています。登場人物によって変化する個性豊かな“空気”について、学んだなあ、すごいなあ、と思ったことを書きます。

「空気」の攻略方法に悩む人々

本作は、“空気”を読む・読まないの対比を通じて、自分らしく生きるために奮闘する女性を描いているようでいて、話が進んでくるとそうでもない気がしてくる。

もう少し説明がややこしい、“空気”の攻略方法について描いているのではないかな?と。

この物語に出てくる登場人物は、どの人も“空気”の全貌を捉えきれていないから、人と正しく向き合うことが難しくなっているように見える。

登場人物たちの歪み方にはあらゆるところで共感するし、心のむずがゆさや痛みも理解できる。だから、ハマる。

その登場人物たちを、簡単に紹介する。

自己犠牲を伴って場の“空気”を読む慎二

慎二は明るく周囲を盛り上がらせる人気者だが、人一倍周囲のニーズを読んでいる。読んだ結果を自分の言動や行動に反映するのが得意だから、自分の思い通りに場を動かしているように見える。

しかし、一話目冒頭で「空気は読むもんじゃなくて作るもんでしょ」とドヤ顔を見せていた慎二は、三話目では「俺は空気読んでるだけだし」と吐き捨てている。

慎二は“空気”を読むことに長けてしまっているから、自然とその役回りを担っているだけだ。そういう意味で言えば、周囲を率いているようで、実は自己犠牲を払っている

それが自然であるように振る舞う日常から生まれたストレスや本音は、交際していた凪に対してのイジメっ子のような言動で現れる。

慎二が“空気”への特殊能力を得た背景には、他人には幸せを見せつける一方、内情は散々だった家庭環境がある。慎二は自分の能力に自信を持てないし、空気を読まない存在にあこがれている。

“空気”を読んでいるようでスルーし続けていた凪

一方、“空気”を読みすぎて周囲に利用されやすい、不憫な女として描かれる主人公の凪。彼女は“空気”を読んでいたのではなく、本当は“空気”に関わらないようにしていたように見える。

お暇を取る前の彼女は、波風を立てないことを第一に行動していた。「そうだよね」、「わかる〜」という一辺倒な反応は、相手にそれ以上の反応など求めていない。その無関心さを隠すための処世術が、NOと言わないで全てを受容する自己犠牲スタイルにつながっている。誰にも嫌われたくないけれど、誰も好きではないのだ。

だから、彼女は慎二のように空気が作れない。関与しなければ、相手のニーズなど感じられるはずがないから。そして、お暇を取った彼女は、自分の「やりたいこと」がひとつも見つからないことに気がつく。それは彼女が彼女自身のニーズにすら無関心でいたから生まれた歪みだ。

凪の極度な無関心の背景にも、自分を守りながら自分通りに皆を動かしたがる母の姿がある(これは後に原作マンガを読んで知ったことだが)。相手の正解を探す受け身なコミュニケーション術は、正解しか望んでいなかった母が作り上げたものだ。

望まず育てた歪みを正してくれるのは誰?

慎二も凪も、生まれた環境化での生存戦略が、“空気”への過度な関心や無関心につながり、それが本人の人格や行動に歪みを生んでいる。この歪みは深刻なもので、お互い自覚がないからこそ直しにくい。

凪にだけは“空気”を読まずに接してもいいという甘えが生まれた慎二は、子どものような言動や、素直になれない行動が目立つ。一方、慎二の横暴な態度に対して反発(=関係性を維持するための行動)できなかった凪は、結局本音を語ることなく慎二の前から逃げてしまう。

もしも2人が正面から向き合い、自分の歪みを見つめ合えたならば、2人がとても似た者同士だということに気がつくはずだ。お似合いのカップルだと思う。けれど、それが叶わないまま2人は離れてしまう。

そこで現れるもうひとりの男が、ゴンだ。

図らずして“空気“を操作してしまうゴン

ゴンは“空気”との関わり方が変わっている。“空気”を無意識に操作する

ゴンの職業はイベントオーガナイザー。まさに“空気”を作り出すことで稼いでいる男だ。音楽、空間、酒、香りがもたらす効果を知っているし、それで人がどう変わるのかをよく観察しているのだろう。

凪に接するときも、アイテムや環境を効果的に使う。公園から見る青空、ココナッツフレーバーのお茶、熱々のツナマヨトースト、駄菓子屋、2人の間に漂う蚊取り線香、ミントチョコの入ったハイボール。

彼は相手が望む空間をディレクションすることがとても得意だ。だから、凪が「本音を言い、自由な生活がしたい」と望んだのならば、そうしやすいように空気を操作してくれる。

でもゴンは、凪に合わせているわけではない。だから凪もゴンに合わせる必要がなく、主体的に自分の言いたいことが言える。

このゴンの振る舞いは、普通だったらめちゃめちゃ愛している相手に対して、努力を伴いながらする行為だと思う。普通は自分の“空気”を守るので手一杯だったり、相手の“空気”を知るために必死だったりするからだ。

2人の間にある空気をお互い気持ちの良い形でディレクションするなんて高度なテクニック、時間をかけなければできないものなのだ。でも、それをゴンはなんの気なしにできる。だから、数多の人にとって特別な人になってしまう。

その歪みは、自分だけが特別な人になれない苦しさをそばにいる人に与え続け、やがて壊してしまう。ゴンのそばに寄り添い続けてくれる人はいない。だからゴンはイベントを作り続けるのかもしれない。ふんわりと人が集まり、程よい距離で相手と触れ合える場所なら、孤独じゃないから。

本当に空気を読むのが苦手な龍子

今まで触れた3人の男女がこの物語の主要人物なのだが、もうひとり龍子という女性がいることで、この3人が引き立つ。

ただ純粋に“空気”を読むのが苦手な龍子。龍子は相手の“空気”が読めないから、自分の“空気”に自然に合わせてくれる凪と友情を育む。凪がもし相手をスルーする能力がなければ、今頃その無頓着さに腹が立っているだろう。

これは予想でしかない(まだドラマでは描かれていない)が、それでも龍子はこの物語のなかで唯一「空気を読みたい」と切に願っている気がする。誰かと友だちになることや、誰かと恋仲に落ちることに対して愚直で積極的だ。

それなのに、龍子がいつまでも一人なのは、どうしてなんだろう?

で、“空気”って何?

結局“空気”って何なんだろう。

まず、この物語を観ていて思うのは、“空気”は二者間のなかに初めて生じるものであること。「空気を読める・読めない」と表現すると、自分の能力の問題のように思いがちだが、実際はお互いの関係性が作り出すものだから、同じ人間でも関わる相手が変われば“空気”への関わり方も変わるのだ。

実際、“空気”に苦手意識を持っていた凪は、ゴンとの間で自然と本音を交わせるようになる。一方“空気”を自在に読めるはずの慎二は、凪の前だと想ったように“空気”を読めない。

物語の中で相手への恋心のアクセルやブレーキになっているのは、“空気”だ。“空気”が合うと惹かれ、合わないと、合わせようとするストレスや歪みが関係性の維持を邪魔する。

二者間にある“空気”を、お互いが心地よい状態で維持するのは至難の業だ。

お互い見つめ合いつつ、お互いが自分の“空気”を偽らずに見せることで、長い時間をかけて作っていく必要がある。そう考えると、一過性の環境や短期間の付き合いで「空気を読め」なんて、実に独りよがりで暴力的なリクエストではないだろうか?

だから……長くなってしまったが、私が『凪のお暇』で学んだこと。それは、“空気”は好きな相手との間でゆっくり作りあげていくもの、ということだ。

誰かと好意を紡いでいくときには“空気”が作用する。だから、“空気”のことを気にしなくていい、とは思わない。けれど、誰に対しても意識する必要もない。相手と大切な存在になりたいなら、その時、一緒に作っていけばいいのだ。

ポイントなのは、一緒に作っていくということ。自分が読もうと無理しすぎると、相手もそれに甘えてしまう。

凪はドラマの一話めで、「空気は読むものじゃなくて、吸って吐くものだから」と慎二に叫ぶ。そのセリフ、実は最初ちょっと腑に落ちなかった。うん、たしかにそうだが、今回扱っている“空気”はそうじゃなくない?と……。

けれど、三話めまで観て、原作マンガも途中まで読んで(本当は全部読もうと思っていたけれど、あらすじを先に知りたくなくて断念)、「ああ!」と納得した。

吸って吐いての行為に、相手がいるんだ。どちらかが吐かないと、吸えない。逆もしかり。お互いが口呼吸を自然なリズムでできるように、ずっと口づけしているように“空気”を出し入れできたら、それってとても素敵な関係だ。

凪がそこまで考えて発した言葉かはわからないが、私は凪が誰とそんな関係を築くのか楽しみに、ドラマの続きを待ちたい。

『凪のお暇』ドラマ公式サイト
『凪のお暇』原作マンガ

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