私の幸せを小さな四角形で切り取る

最近、よく写真を撮ります。
NikonD5600、レンズはAF-S DX Micro NIKKOR 40mm(で合ってるのかな、そう書いてあるから)。
1日1枚は撮るので、デスクの片隅にカメラを置いています。ちょこんと。

この子、今は感動の相棒みたいな存在になってる。
あるいは休憩中だけ愛でるペットみたいな。
こんなふうにカメラを感じる日が来るとは、思ってなかった。
***
このカメラはもともと私の仕事道具の一つです。
写真撮影ありの取材先にも対応できるよう、スタンダードなズームレンズとセットで購入しました。

インタビュイー、食事のメニュー、あと風景(店舗の外観)。
あらゆる対象をそれなりに(※ライターが撮るからプロカメラマンとまではいかないよ、でもスマホよりはいいだろうレベル)撮れればよかった。
だから私はカメラのことをあまり深く知りません。
最低限の知識しかなく、それ以上掘り下げることはありませんでした。
でも、撮るのはとっても好き。
上達することは求めてないけど、とっても好き。
カメラはそういう対象でした。
***
この子が活躍する頻度は2020年になってめっきり減ってしまいました。
というのも、オンライン取材ばかりになってしまったから。
たまに趣味で撮ることもあったけれど、それも旅行や外出時だけ。
私のストイックすぎるSTAY HOMEの環境に、カメラは要りません。
でもね。
外出自粛したまま季節が春から夏へと変わる頃、私はハッとしたのです。
最近、何かが足りない、と。
よくよく考えてみると、視覚的にときめいていないぞ、と。
この不足感をもう少し深掘りして考えてみると。
私はカメラを覗くとき、いつだってときめいていたのです。
「笑顔が美しい…さっき取材で聞いた人生が裏にあるからこそ、美しい。」
「めちゃめちゃおいしいなぁ〜っどう写真で伝えれば?!」
「空気、色、言葉、すべてが異国だ。私いま、アップデートされてる!」

そうやって感動する瞬間、私はカメラを構えていて、私のときめきが写真のなかに切り取られていました。
仕事だろうが、仕事じゃなかろうが、向き合い方は一緒でした。
写真を撮ることが感動の起点になっていたことは、しばらく写真を撮らない期間があって初めて気づいたことです。
それまで「写真が好きです!」と胸を張って言えるほど頻繁に撮っていたわけではないけれど。
カメラを構えることは、感動や幸せを切り取ることだったんだな。
そんなことに気づいたんです。
***
気づきを経てすぐのある晴れた日。
いつものように、朝のお茶を淹れる時間がやってきました。

畑に植えたバジルがあまりにも元気に伸びるものだから、今日はバジルでフレッシュハーブティーに挑戦だ。
そう思いたって、元気な採れたてバジルの葉をポットにセットし、お湯を注いだんです。
その瞬間、香りがふわあっと家を包み、美しいグリーンが開きました。
魔法のように甘くてさわやかな世界に、一筋の自然光が道を作ったのです。
私は急いでケースを取り出し、NikonD5600を構えました。
最初はズームレンズをつけていたのだけれど、私が見ている美しさはそれだとなんだか出なくて。
真上から覗ける小さなレンズに切り替えて、撮りました。

とっても美しいと思った。
日常が、こんな美しいなんて。
家の中で、私はひとり、ぽっと頬を染めて、椅子に座り込みました。
初めて飲むフレッシュハーブティーの、嫌みのない透き通った飲み心地に酔う。
その時間、NikonD5600は満足そうに、お供してくれていました。
***
それから、私は家で過ごす日々に光を見つけるようになりました。
砂のようにさらさらと流れる「当たり前」のなかにも、美しさはきらきらと散りばめられている。

大好きな人が愛しそうに私の足を撫でてくれた。

オンラインで買ったピアスのきらめきがとっても美しい。

今日のお茶は一際美しい色、いい香り。
とっても個人的な幸せを、NikonD5600は四角形で切り取ってくれる。
どんな対象を撮るときも、小さな、ズームできないレンズだけ。
そのほうが、私のこの幸せの規模感にあっている気がするから。
***
1日1枚、特に好きだった1枚をInstagramに投稿するのが日課になりました。
特に目標もないけれど、毎日写真を撮り始めて、ちょうど1ヶ月が過ぎます。
華やかな出来事も、かわいい被写体になる私もいないんだけれど、
代わり映えのない幸せだけは、続いているんです。

小さな四角形が、毎日見慣れた風景を鮮やかに切り取ってくれる。
今、人生で一番、カメラを楽しんでる。
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