病を明かすこと

エッセイ

病んでいることは悪いことなのだろうか。
これはずいぶんと何度も、自分自身に問いかけた疑問だ。

個人的には悪いことだと思わない。
病もまた自分が授けられた一つの特性、治るものなら治せばいい。
治らないものであれば、共存の中に幸せを見出すよう努める。
それだけのことだから、病んでいることは何一つ悪くない。

明らかにそう思っているのに、周りに言えない。
だから苦しい。

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私はベーチェット病という難病を患っている。
休職、そして独立のきっかけはこの病名の診断だった。

過度にタスクが増加し続ける“組織”にはもう属せないと思ったから独立を選んだ。
自分の健康を守るためにはもちろん、組織にいつ穴を開けるかわからない不安のほうが大きかった。
この理由は消去法での結論だから、普段キャリアについて問われても答えない。

ベーチェット病ってのは、本当に不思議な病気だ。
主症状のうちいくつかが当てはまったらベーチェット病、みたいな条件式で診断される。
口腔粘膜のアフタ性潰瘍(いわゆる口内炎)、外陰部潰瘍、皮膚症状、眼症状。
でもその他にも神経系、腸管系というのもあって……。
全身ランダムで不調になる。めっちゃざっくり言うとそうなっちゃう。
(詳しく知りたい方はこちらをどうぞ)

白血球が多すぎて炎症が起こっているらしいが、なんで多くなったのかは誰もわからない。
だから難病なのだ。

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はじめは眼科。ブドウ膜炎と診断された。
目がどろどろに充血して、光が痛すぎて眼帯で目を二重に覆いながら病院に向かった。

先生から「ベーチェット病かも」と加えられ、都内でも大規模な総合病院を紹介される。
そこで一度診てもらうものの、検査入院が必要と言い渡され、約1週間の入院。
目、女性器、皮膚、内臓などを検査するため院内を検査行脚した。

で、その結果、「ベーチェット病です」と診断された。
だから私はベーチェット病なんだと思う。
が、当本人も、診断した医師も(多分)、なんだかあまりしっくりこなかった。

というのもベーチェット病は「悪い」ときと「良い」ときの差が激しい。
めちゃめちゃ悪いときは目が光に焼かれて、血の塊みたいに充血する。
あと自分の性器あたりが爛れたようになって痛い。尿をするのもつらい。
良いときは、ただ口内炎ができるだけ。あと、ちょっと肌が荒れる。そのくらい。

私は、幸運なことに「良い」時間のほうが圧倒的に長い。
検査入院したときも、あんまり悪くなかった。
私の被害妄想だが、入院当時は「あれ?そんなに悪くないじゃん」と、医師や看護師から冷ややかな目で見られている気すらしていた。
だって、その時はただ口内炎がひどい人だったのに、病床を一つ埋めてしまっていたのだから。

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診断されてから数年間、ほとんど苦しい期間はない。
「自分、ベーチェット病なんですっけ」と忘れかけることも多い。
定期検査のスケジュールを飛ばしそうになることすらある。
検査してもだいたい「良好ですね、安静に過ごしてください」と定型文を返されるだけだ。

でも、完治することはないらしい。
だから、私は死ぬまでベーチェット病だし、ベーチェット病で死ぬ可能性すらある。
(症状の一部には命に関わるものもあり、実際亡くなった方も一定数いる)
爆弾を抱えてるのに忘れかける日々。不思議な気分だ。

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そんなこんなの私だが、先日、久々に(おそらく)ベーチェット病の症状が悪化した。
頑張りすぎ?暑すぎ?精神的につらいことが重なりすぎ?
さまざまな理由を掘り起こして呪うも、難病だから原因はついぞわからない。
薬だってもらっていない。「ただ安静に過ごせ」しか言われていないのだ。

仕事ができない。
取引先に「ベーチェット病なんです」と言っておけば良かったのか、考える。
多分私は、たとえ言っていたとしても、「今ベーチェット病で苦しいです」とは言えない。
休む理由に、病んでいることを明かしたくない。
それが悪いことだと思っているから。

逃げのように思われるのではないか、と恐れている。
ベーチェット病を、すんなり理解してもらえるのだろうかと不安だ。
理解してもらったとて、じゃあこれから仕事をもらえるのだろうか。

普段は元気なんだ。いたって元気なんだよ。
逆に普段元気であることすら悪いことのように思えてきて、混乱する。
いっそのことずっと病に伏していれば、こんな誤解は生まれないのかって。

でも違うよね。落ち着いてくると、何考えてんだろうって思う。

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病んでいることは悪いことではない。
きっとこの答えは変わらない。

でも、病んでいることをどうパブリックに伝えるかは、やっぱり難しい。
病んでいることの本質を一番知っているのは当事者だけで、他の人に理解してもらうのは、そう簡単なことではないから。
それを「悪い」という感覚と一緒に受け取ってしまうと、とても重たい。

違うんだよ、悪くはないんだよ。
理解して共に歩んでくれる人は少ないかもしれないけれど、悪くはないんだ。
整理するために、その切り分けを言語化しておきたい。

そして今回「夏バテしちゃって」とか嘘ついた私も、たぶん悪くはないんだ。
ベーチェット病の症状や出る周期、完治しないことなどを説明する相手は、絞る権利があると思う。
だから、自分が機能しないときは夏バテでも風邪でもいいんだ。

そうだと思いたい。

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全然違う話を最後にさせてほしい。
近しい人が、ある精神的な病を診断されたと、間接的に知った。
その病名は知っていたから、どうつらいのかなんとなくは想像できた。

その人は、とても責任感が強い。
私なんかよりずっとまっとうな人生を送っている。
確かに性格上の特性が強い人だが、悪いなんて思ったことはない。

で、私は当事者からその話は聞いていない。
それは当事者の判断であり、私は明かす相手ではなかったんだろう。
だから今までと変わらず、知らない前提でその人と接していきたいと思う。

でも、願いが叶うなら、ほんの少し寄り添いたくもある。
立場は違うけれど、病を明かせない気持ちを知る者として。

どう接するのが適切なのかは、「解る」なんて口が裂けても言えない。
でも、こうして共通点を見出して、添いたいと願うことはできるんだ。

そう思ったとき、少しだけ心の負荷が軽くなった。

私にも、きっとそう思ってくれる周囲の人が、いるんだろうなって。
明かさなくていい。その苦しみは、きっと一生あなただけのものだろう。
でも、完全に理解されないって決まったわけじゃないんだ。

その希望は、目に見えない不安に対抗する力になる。
これを読む、同じ不安と戦うひとに私から渡す、希望のバトンだ。

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