Pitychan公演「世光ちゃん。ぎらぎら♡」に寄せてーところで、私はどこに立っているんだっけ?—

Pitychan「世光ちゃん。ぎらぎら♡」の稽古を観た
2018年11月13日から18日の間、北千住BuOYにてPitychan(Pityman)による舞台公演「世光ちゃん。ぎらぎら♡」が行われます。その稽古を観させていただいた想いを綴ります。そんなのはいいからとりあえず公演の詳細を読みたい!という方はこちらまで。
Pitychan「世光ちゃん。ぎらぎら♡」あらすじ
世光(よひかり)は声優になるために上京するも、夢破れてさびれた地元に戻り、地方創生に関わる会社に元カレのコネで就職する。持ち前の薄い表面に作り上げた世渡り上手のキャラクターを生かし、顔見知りの多い商店街でつぶれた銭湯の再興プロジェクトを任されるが、久々に会った面々は勝手なことばかりを言う。
銭湯のオーナー、地主、その娘、会社の上司……。狭いコミュニティの中でお互いの利権やら欲望やらが交錯する中、ある事件が起こる。
「理想」と「現実」を解剖して観察したら

「世光ちゃん。ぎらぎら♡」にはさまざまな「理想」と「現実」が描かれています。さらに「理想」と「現実」がそもそもどこから生まれて、何がそれらを分かつのかも。それはある種「理想」と「現実」の解剖・観察を観ているような印象を受けます。
今回、私はこの公演を多くの人に観てもらいたいので、キャラクターやあらすじ(=解剖結果)について深く描くのではなく、その解剖のメスとなるパーツについて語りたいと思います。
地元と東京
主人公の世光(よひかり)は声優になるために東京で過ごした日々がありながら、今はブラウスとスーツに身を包み、笑顔を浮かべてクライアントの理不尽を聞く会社員になっています。
東京に行けば夢が叶う、何かができるという幻想は、一方で地方の若者不足や過疎化を加速させている。そこに取り残されたくない。けれど、東京にはいられなかった。その現実を、身をもって直視しなければならない世光の胸中は察するに余りあるもの。彼女が過去と今とのギャップの中で自身を保つために、どんな歪さを育てていくのか?その答えが、本編の一つの軸になっています。
権力を持つこと、奪われること
権力による主従関係も、理想と現実を分かつ一つのスイッチですね。社会を成り立たせるためにはある種の主従関係は必要で、人は何らかの形で誰かを従わせる側にいたいものです。でもそれは、従わせる誰かがいることで成立する理想です。
主従関係だとか権力だとか言うと大仰だけれど、本当はそれって身近な話で、いくらでも私たちは体験していますね。例えば親子、恋人同士、会社の上司と部下、友人ですら、そう。いつだって私たちは、自分の理想を描くための他者として、誰かを従わせたいという欲望をはらんで生きている。
もろくて可視化しづらいその構造を、「世光ちゃん。ぎらぎら♡」は何のオブラートに包むこともなく描きます。本当に、途中で「やめてよ!」って思うくらい。
リアルと、もうひとつのリアル

少し本編から話がそれますが、「世光ちゃん。ぎらぎら♡」の稽古場は、とある駅から歩いて10分以上かかる住宅街にある地域のセンターでした。簡素な空間で、緊張感と程よいおだやかな空気がまじりあう中、舞台上の動きのチェックが行われています。
細かな指示を受けて、「その動き、難しい」と俳優側が戸惑う姿も。人生の中でしたことのないアクションを求められて、検討する。体が言われた通りに動かない。そこには、ひとつの舞台を作り上げていく人々のリアルがありました。
一方、それらの指示と確認が終わったあと、作品の中のシーンとして観るそこにはもうひとつのリアルが存在します。足の動き、視線の方向、座る角度、言葉の抑揚、それらが舞台上の人物の感情と呼吸を作り上げる。作り物ではない、まぎれもないリアルだと、観ている私は確かに、感じています。
舞台、映画、漫画、アニメ。あるいは、SNSのアカウント、Vtuber。そういうあらゆるものは「作り物」だけれど受け取った人にとってリアルにもなり得る。一方で、それが作られる過程のリアルは、その後に残るリアルとは違うんだ。それってなんだかとてつもなく矛盾している気がして、普段見ないようにしているような。それは、求める理想とそれを作り上げる現実の「あわい」のようなもので、時に生々しく、痛く、目をそむけたくなるものなのかもしれない。そんなことを、目の前で呼吸をし、演じる俳優の皆さんから、そしてこの公演から感じたのです。
この公演を、笑えるか?―解けない問いを持ち帰って―

嘘と本当が溶け合う濃厚コメディー
本公演のオフィシャルの紹介文に書いてある文章ですが、私は声を大にして言いたい。「笑えないよ」と。いや、言い方が悪いか……正確には、「笑うつもりで来たのに、なんだこの感情は?」。このほうが正しいかもしれません。
この物語は他人ごとではない
稽古を観劇させていただいた後日、脚本・演出を務める山下由さんとお話する機会をいただきました。「観てみて、どうでした?」という問いに、私が「不安になりました」と、戸惑いつつ本音を言うと「ああ、よかった」という答えが。なるほど、それでよかったのか。
「世光ちゃん。ぎらぎら♡」は、私たちがもう考えることを辞めた、あるいは考えることを避けている問いを投げてきます。しかも、普段の私たちなら「はいはい、作品のメッセージはこれね」とか「うわあ、感動します」とか言って流す武装をそれなりにしているところを、その武装をさらっと脱がせてから、これでもかとぶち込んできます。
この物語は、他人ごとにできない。それが、通しの稽古を観終わった私の不安を増長した原因でした。そして、いかに他人ごとに満たされて日々生きているかということ、そして私自身が誰かの他人ごととして生きているのかということを、まざまざと、知ってしまったことも。
私たちが立っている足元を問う
これまた私の話ですが、「世光ちゃん。ぎらぎら♡」の稽古を観させていただいた日、偶然にも携帯電話を落としました。それなのに私が稽古場を出た直後やろうとしたことは、「バッグから携帯電話を出して、Twitterで『Pitychanの稽古みてきた!すごくいい!』ってつぶやこう」でした。
その瞬間、携帯電話がないことそのものが不安というより、その行動をしようとした自分に不安になりました。私は、私の中で得られた発見や言葉にならない感情を、ほとんど反射のように外に出して自己承認欲求を満たす素材にしようとした。そのことです。
「世光ちゃん、ぎらぎら♡」に描かれる人物たちは、ひどく滑稽で、笑えるほどに誇張されていますが、その姿は誰を元に描かれているかって……。ハッと気がつくと、もう、足元から崩されるような感覚に襲われて、私はどこに立っているんだろうって。思わずにはいられなかった。
わたしを、みつけて♡
このキャッチコピーのフランクさが恐ろしくて、今は引きつった笑いを浮かべるしかない。だって、この言葉の痛みをこれ以上なく、私たちは知っていると思うから。
おすすめの観劇方法

さて、一切あらすじの細かな部分に触れないレビューを書きましたが、私はこのブログを通じて1人でも多くの人に「世光ちゃん。ぎらぎら♡」を観てほしいと思っています。そのためには内容のことを書いたほうが良さそうなものですが、それはできないの。ごめんね♡
公演に先立って観させていただいた私から、いくつかおすすめの観劇方法をご紹介します。ぜひご自身で予約なさられたら、観劇前後で実践してみてください。
①ご自身のSNSで「世光ちゃん。ぎらぎら♡」について言及する
どんな形でも構いませんが、「世光ちゃん、観に行くよ」みたいな内容を投稿しておいてください。これはプロモーションの意味でというわけではなく、単純に、そのほうが観たあとに感じることが多いと思うからです。きっと、その投稿には「いいね!」とか「おお、面白そう」とかコメントがついているはずです。それも含めて準備しておくことをおすすめします。
②Twitterでシャーロット結花のアカウントをフォローする
もしあなたがTwitterのアカウントをお持ちなら、ぜひ「三ツ井シャーロット結花」ちゃんのアカウントを事前にフォローしてみてください。結花ちゃんから感じられる公演までの日々や努力も、本公演を観る前に知っておいたほうがグッとくるシーンが多いと思います。
③観劇直後は携帯電話をオフのままで数時間放置
観たあと、なんか言いたくなると思う。絶対言いたくなると思う。でもそこはグッとこらえて!数時間はその想いを外に発信することなく、自分の中で料理してみてください。その間に出てくる感情、それがかなり新鮮なものになることを確約しますので、ぜひ。
十分にその感情を味わったあとは、身近な人なりSNS上のフォロワーなりに「世光ちゃん。ぎらぎら♡」の魅力を存分に語ってください。ちなみに私は、大好きなTwitterにまる3日投稿できなくなるほどの衝撃を受けていますが。
④あらすじは観ていない人にネタバレしないで!!
これは私自身が苦心したところですが、この公演の本当の、本当の面白さを伝えるには「もう……とりあえず……観て」としか言いようがないのです。だから、どうかあらすじについては秘密で。どうしても語りたいときは、観た人同士、内輪で話しましょう。
⑤本編にどっぷりはまってしまったら山下さんのnoteを読む
かなり通な楽しみ方ですが、脚本・演出をなさられている山下さんがご自身のnoteで登場人物にまつわる小説を公開しています。これ、めちゃめちゃいいです。まじで。
ただ、個人的には公演を観終わった後のほうがしっとりと心にしみる部分が多く、登場人物のあれやこれやを想像しながら読めたので、一度公演を観てから読むことをおすすめします。
⑥Pitychanが好きならPitymanもチェックして
今回、「世光ちゃん。ぎらぎら♡」はPitychanという劇団の公演として発表されていますが、母体となる劇団はPitymanです。劇団内劇団という扱いになっており、その違いは私の言葉で語るより山下さん本人の説明を抜粋させていただいたほうが伝わると思いますので、抜粋します。
Pityamanを母体としたPityChanという劇団内劇団。読み方は「ピティーちゃん」。劇団員が持ち込み企画を上演したり、manで築いてきたイメージを壊してしまいかねないようなふざけた話はこっちでやろうという身代わり的媒体。どうなっても所詮身代わりだし精神。藁人形劇団です。言うならば。藁人形を上演で使ったりはしないけど、なんなら。
ということで、Pitychanは一種の実験の場というか、何が起こるかわからないものを観られる機会ともとれるかもしれません。とは言え、Pitymanを母体としているので、Pitymanの持つ魅力や味はそのまま活かされていると思います。
もともと私はPitymanの公演「ハミング・イン・ウォーター」であまりに感動し、下記のようなレビューを勢いで書いたことから、今回稽古を観劇させていただく運びになりました。(ちなみに公演を教えてくれた親友の葉くんは、Pitymanの宣伝写真の撮影担当をしております。教えてくれてありがとうね、葉くん。)
Pityman「ハミング・イン・ウォーター」に寄せて―ある家族を繊細にとらえた80分間―
2018年6月23日から26日までのあいだ、新宿眼科画廊にて演劇集団Pityman(ピティーマン)の公演「 ハミング・イン・ウォーター 」が上演されています。 「ハミング・イン・ウォーター」は2013年「 若手演出家コンクール 」にて優秀賞を受賞した劇団初期の代表作で、今回は”傑作選”としてPitymanの人気作品を再演する企画のトップバッターを飾りました。 Pitymanの説明は …
ですので、今回の公演が好きだという方は、ぜひ母体のPitymanの公演にも足を運んでみてください。そこにはまた違った心の揺らめきが、繊細に描かれているはずです。
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ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
まあ、なんだ。こんなに長く書いておいて今更ですが、心をめちゃめちゃに揺らされるのでぜひ観てください。
その一言に尽きます。
最後に、改めて「世光ちゃん。ぎらぎら♡」を観るためのインフォメーションを掲載しておきます。
―公演概要―
『世光ちゃん。ぎらぎら♡』@北千住BUoY
脚本・演出 山下由
2018年11月13日(火)~18日(日)
※上演時間は90分を予定しています。
Pityman公式サイト
Pityman(ピティーマン) (@pityman16) | Twitter
※本投稿は、旧ブログにて公開されていた記事を移管したものです。内容は当時のまま編集しておりません。
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