泣いたサンタの5年後、私も(#metoo)

エッセイ

このノートを書こうと思ったきっかけは、今日読んだ記事だ。

はあちゅうが著名クリエイターのセクハラとパワハラを証言 岸氏「謝罪します」

「#metoo」というハッシュタグをつけて性被害を受けた人々が声をあげている。

「私も」。

記事を読んで「私も」と思った。

私が「私も」と書いたところで、何が変わるとも思わない。

そして、私はそういうものを書くことを拒んできた。

私にとって、「性に触れること」を発することは、自分が「女である」ということを認めてしまうことだと思っていた。

だからどこまでも性について明かしたくないと思っていた。

「私も(#metoo)」というハッシュタグがなければ、話さない。

点として過去にある「私も」を、書く。

泣いたサンタ

新入社員だった私に初の師走、忘年会というものがやってくる。

「ミニスカサンタでもやれよ」

冗談だろうと流していたら、忘年会前日に真顔で言われた。

「え?マジで用意してないの?新入社員なのに?」

一年間、未知だらけでたくさんの圧力を感じてきたが、あの時の圧力は違った。

感覚で言えば、今までで一番「理不尽」に近い圧力だった。

私はミニスカサンタの衣装を買った。

経費で落とせるのか悩んだ末、怖くて自腹にした。

忘年会の場でミニスカサンタの衣装を着せられた私は、絶えず写真を撮られた。

酔いの回った男性社員や、招待されていたクライアントに、腰だの尻だのを触られた。

二次会の会場までその衣装を脱がせてはくれず、カラオケの室内で膝の上に乗るよう指示された。

深夜の三時まで付き合わされて、クライアントの一人に「このまま持ち帰りますね」と言われた。

社長が「どうぞどうぞ、お粗末ですが」と笑った。

私は具合が悪い、トイレから出られないと嘘をついてなんとか逃げた。

朝の五時まで、ずっとトイレの中で泣いていた。

誰も私を守ってくれなかった。

それでも次の日は、通常出勤だった。

「お前ひでえ顔してんな」と、出社して言われた。

「何故断れるんですか?」

社会人生活二年目で、大きなプロジェクトに参加させてもらった。

クライアントは誰しもが知るテレビ会社だった。

胸を躍らせたし、自分の企画が一部でも形になるのならば、と必死だった。

クライアント先で優秀かつ人望のあるプロジェクトリーダーに夜ご飯に誘われた時は、嬉しかった。素直に。

彼は美しい奥様と、幸せそうな子供達に囲まれた写真を、よくSNSに掲載していた。

その笑顔と、全く変わらない笑顔でこう言ったのだ。

「で、今晩は、どこに泊まりますか?」と。

目の前に並んだ食事やお酒の色が、突如としてモノクロになった。

この人、まさか。

信じられず、私は「お支払いは全部払うので、どうかそんなことを言わないでください」と、今になって思えば馬鹿みたいな懇願をした。

逃げるように帰ろうとする私に、彼はエレベーターの中でキスをした。

舌を入れられたのだ。

「何故断れるんですか?」

彼は、全く理解できない、という面持ちで私に優しく質問した。

私は何も答えられなかった。

何故断れる?それはおかしいことなの?

次の週、私はプロジェクトから降ろされた。

「当然だよな、まだ経験も浅いあんな小娘が…どうせ無能だったんだ」

そんな目で周りから見られた。

でも違うんだ。知ってる。

やっぱり、私は悔しくて泣いていた。

でも、もう誰かに守ってもらおうなんて思っていなかった。

クライアントに依存しなければ成立しない会社を辞めよう。

私はその半年後、会社を辞める。

私は女ではないです

次の会社では、私は女らしさを消すことに努めた。

そこまで華々しくある必要のない部署に配属されてホッとした。

私は「お母さんのような」雰囲気が出るよう意識し、一時は安寧の時を過ごした。

時々社内の飲み会に顔を出すと「全然色気ないよな」「一生結婚できなそう」と笑われた。

それでも、私はホッとしていた。「女じゃないですから!」と返せた。

女性としてのカテゴリから外れたことで安心していた。

それなのに、社内の独身男性からはよくSNSなどで二人きりの飲み会などに誘われ、その席では「可愛いね」とか「仕事ばかりでさみしくない?」とか訊かれた。

彼らにとっていかに私は「ただの女」であるかを見せつけられ、その度に私は思った。

「仕事の成果・結果で人として認めてもらえれば」と。

仕事の成果すら女を捨てられない

昇進するきっかけとなったあるステージを成功させた。

私は、私自身をようやく褒めてやれるくらいに成長した。

そう感じていた私に、直属の上司はこう声をかける。

「いやあ良かったよ、女性社員でここまでやるとは思わなかった!」

男の後輩が畳み掛けるように言う。

「あなたが男性社員じゃなくて良かった…絶対越えられない壁になってましたもん…自信喪失するとこだった」

仕事で成果を出してもなお、私は女でしかない。

女という檻から、どうしたって、出られない。

キャリアアップとなる部署異動の際に、直属の上司は真剣な眼差しで私に尋ねた。

「もう出産とか子育てとか、今後、諦められる?だったら今より上、目指せるよ?」

「お前は頑張り屋だからOKに決まってると思うけど…一応聞いとこうと思ってさ」

ふざけるな。

私の生き様と、努力と、性は、ないがしろにされ、混ぜられ、捨てられた。

そんな気分だった。

私は自分が女であるということが、もう嫌だった。

女でありたくなかった。でも男に生まれたいとも思えなかった。

社会が作った男女の枠から逃げたかった。

独立して半年、泣いたサンタから五年後

もうすぐ、クリスマスがやってくる。

半年、フリーランスとして生計を立てた。

意外と生きていけるなあ。肩の荷が降りた気分だ。

私が男であろうと女であろうと評価してくれる人も、いる。

結果を出せば報酬がもらえる。

それがどんなにありがたいことか。

私がSNSで匿名性(画像、名前、経歴諸々)にこだわったのは、そこに「女」を出したくない、というのが大きな1つの理由だった。

最近「顔写真を使用したプロフィール」が必要なお仕事をいただき、ちょうど「女」という壁とトラウマを思い出していた。

女になった瞬間、またああいう風に見られるのだろうか。

評価は歪むのだろうか。

ミニスカサンタの可愛い女性の写真がタイムラインに流れてきて、胸が痛む。

私は、ただ、私として、結果を評価されたい。

ただそれだけなんだ。

あれから五年経っても、トイレで泣いていた日を思うと悔しくて涙が出てくる。

そんな私が、偶然見たはあちゅうさんの記事は、私に過去を消化する機会をくれた。

はあちゅうさんという方について知ることは少ないので、彼女自身への総合的な評価はここでは言えない。

ただ、あの記事に彼女が出ることは、本当に勇気のあることだ。それだけは、確かだ。

もうすぐ、私は「女」である自分を再び出す。

今思えば、逃げていた。

私は架空の人物ではないのだから、女であることも含めて私なのだ。

どんなことがこれからあったとしても、しゃんと立っていたい。

もう、泣かない。

一人の人として、一人の女として。

―追記(2017/12/24 9:46)―

この記事を読んでくださった皆様、ありがとうございます。

たくさんの反響・お言葉をいただき、書いた私自身、たくさんの学びがあります。

文章内で【SNSで匿名性にこだわった~…】という現状説明がありますが、説明の通り、顔を出す必要性が出たため、本日アイコンを変えました。

この記事に書いてある状態が変わったので、追記にてご報告します。

でも、文章はそのまま残しておきたい。

そう思ったので、あえて公開した記事は書き換えませんでした。

このように、私の時間は流れています。

私は今、幸せです。

一方で、私の過去は、誰かの今かもしれません。

私の記事を読んで、誰かが一人でも、明日の一言や行動を変えてくれれば。

それで誰かが一人でも、悲しむ未来が消えればいい、と願います。

もちろん、私も私のできる限り、誰の加害者にもならないよう、誰も被害者にしないよう、今日の一言や行動に丁寧に生き続けます。

私はこの記事を書いた時「私の力では変わらない」と思っていましたが、今なら、少しだけ、希望を持てます。

それは読んでくださった皆様のおかげです。

本当にありがとうございました。


※本記事はnoteに2017/12/17 18:54に投稿されたものを移行しました。

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